鴨のブログ@愛

おじさんの私的でステキな愛のブログ@妄想系

おじさんの妄想(エロいの)をメインに日々の出来事を綴っていきます。たまにレビューなども。

ピアスの穴、長い友人

彼を初めて知ったのは中学生の頃でした。私の住む町では、3つの小学校から生徒たちが集まり一つの中学校に押し込められます。私のいた学年は6クラスもありましたから、違う小学校出身のやつなんかは卒業まで一言も話さないで終わるなんて事もざらでした。この学年には双子の生徒が3組いて、彼はその中の1組(双子の兄)でしたから、直接話すことは無くてもその存在は入学当初からうっすらと認識していました。双子の片割れと同じクラスになったのは2年生の頃。始めに仲良くなったのは双子の弟で、そいつは普通にいい奴でした。彼は人の気持ちを察することができるタイプで、決して周囲に波風を立てず穏やか、かと言って大人しいわけでもなく、友達が多いタイプでした。意識がはっきりしていて頭のいい奴、当時の私は弟をそう認識していました。後で分かった事ですが、私が頭が良いと思っていた彼らは実は勉強の方は苦手だったようで、大人になった弟は現在町の小さなプラスチック工場で代わり映えのない仕事を20年以上続けています。本人が納得しているので現在の弟のことはどうでもいいのですが、とにかく彼らはIQは低くてもEQは高い人間でした。双子の片方と仲良くなれば、もう片方とも仲良くなるのは子供にとって自然な事でした。なんせこいつら二人とも全く同じ顔をしている。髪型も同じだし、声も同じ、着ている学ランも同じ。当初は見分けがつかなくて何度も間違えたものです。いわゆる「明るくていい奴」だった彼らの家の1階には大きな広間があり、そこは仲間達のかっこうの溜まり場になっていました。彼等はそれを嫌がるでもなく、また親御さんも子供達を優しく受け入れくれたそうです。中学生当時の私は彼等とそこまで仲良くありませんでしたから、その頃の子供達の遊び場がどの様になっていたのかは知りません。

中学校を卒業し、青春という言葉の意味も分からないまま、どこからか迫り寄る暗い場所へ向かって、その背中を蹴飛ばされ押し出されて、底があるかも知れない沼の様な不思議な場所に放り出された子供は、自力でもがく気力すら持てず、ただ生命を繋ぐ以外に理由が見いだせないような、そんな小さな呼吸をして、ただただ沈みゆく感覚を身体の中心で意識している。高校の頃になると私は、いつしか彼の家に入り浸る様になっていました。そこは楽しい場所で、友達が数人集まってゲームをしたり、麻雀をしたり、煙草を吸ったり、酒を飲んだり、鍋パーティーをしたり、原付バイクをいじったり。まあ思春期の青年にありがちな光景です。別に悪事を働くわけではありませんが、はたから見たら不良みたいなものでしょう。まあ悪ガキは悪ガキです。さて、双子の兄(以降「兄」)。彼は地元で下から数えた方が早い低偏差値の公立高校に通っていました。地元のスーパーマーケットでバイトをして、そこで知り合った年上の彼女といつも一緒にいました。ヴィジュアル系バンドが好きだった彼は高校入学後間もない頃に耳にピアス穴を開け、それを見た友人に、お前何カッコつけてんだよ、と言われた際の返し「・・・俺、常に痛みを感じていたいんだ」は、これぞ厨二と言うべき伝説のセリフです(私の中で)。それから数年間は溜まり場(双子の実家)で遊ぶ期間が続きました。そんななか兄は髪を伸ばし、ピアスの穴を増やし、バイクを買って、高3の夏に学校を辞めました。他の奴らはそれでも高校を卒業し、専門学校へ進学やらプラスチック工場やら自動車工場やらに就職していきました。空を漂うタンポポの綿毛の様に、ただ吹かれるままに生温い風に乗り続けていたのは、私と兄、ただ二人だけになりました。二人とも、モラトリアムがとうにすぎた事は知っていました。だがどうすればいい。初めの頃は足首程度の深さだった黒い沼は、私達を少しずつ飲み込んでいき、それはいつしか足を過ぎ、腹から胸へ、肩、首元、ついには顎に触れて、そして気付いたらもう耳元まで沈んでいます。もう自らの力では身動きが出来ない状態。そんな子供たちは目に涙を浮かべながら顔を上に向けて「死にたくない」と必死に息を繋ぐ。もし頭まで沈んでしまえば、もう、誰からも見つけて貰えなくなる。

当時兄は港湾のヤクザ絡みの事務所で働いていました。表向きは輸出入に関する付属品の製造会社でしたが、裏ではその筋とのつながりが有り、まあ「輸出入」ですからね、会社とその方とであれやこれやとお話をしていたそうです。兄は謂わばただの小僧でしたから、彼が直接悪事に手を染めていた訳ではありません。そういうのは会社の上層部が秘密裏に行っていたみたいです。そんな会社ですから社会保険になんて加入しているわけがありません。兄は毎月それなりな給与を貰っていたそうですが、先がある仕事とは決して言えませんでした。そんな中、兄の彼女が「結婚したい」と言い出したのだそうです。幼稚園の保母さんをしていた年上の彼女は結婚して、子供を産んで、家庭に入りたいと言ったそうです。それはつまり「まともな会社に就職しろ」という事です。そう言われたときの兄がどういう気持ちだったのかは分かりません。ただ、彼はその申し出を断りました。その彼女が実はアバズレで、当時の友人達の中の数名と裏で関係を持っていた事を私が知ったのは数年後のことです。しかし彼は彼女を本気で愛していました。その彼女を失ってまで、彼は何をどうしたかったのでしょうか。それは今でも分かりません。

人のちょっとした一言に人生を救われる事があります。私の場合は、親がその人でした。ギリギリで息をしていた沼から引きずり出して貰い、泥だらけの身体を洗い流し、そして数年遅れながらも、中庸な大学へと進学する事が出来ました。これだけは親に本当に感謝しています。さて一方の兄は相変わらず港湾の仕事を続けていました。彼とはその頃から徐々に疎遠になり、私達はいつしかぱったりと合わなくなっていました。彼と久しぶりに会ったのは共通の友人の結婚式の会場です。相変わらずの風貌。ネットゲーにドハマリしてその深度は廃人並みだそうです。でも現実社会でもそれなりにやっているようで、なんとなく安心したのを覚えています。結婚した共通の友人からの紹介で新しい彼女も出来、少しずつ兄のいい話を聞くようになっていました。私が就職して数年経った頃、兄から連絡がありました。「結婚しようと思う」と彼は言いました。ついては仕事を探している、と。私の勤める会社は従業員数人という超零細で、各個人にそれなりな権限が与えられています。私はある程度の人事権も持っていました。当時はまだ景気が「悪くない」状況でしたから、新しい営業を会社に入れるのは悪い話ではありません。熟考の末、私は彼を会社に入社させました。かつての親友が部下になった瞬間です。

会社では私を役職名で呼ばせ、人前では必ず敬語を使うように。社会人として当たり前の事ですが、彼もそれなりな年齢です、馴染むのにはさほど時間はかかりませんでした。兄は真面目に働きました。それはもうクソが付く程に。いつしか裏でも私を役職名で呼び、常に敬語を使うようになっていました。「低学歴でまともな社会人経験も無い、いい年をした人間」というのは、思うよりも「仕事」というものに馴染むのに時間がかかります。偏見なのかも知れませんが、しかし学歴だの社会人経験だのと言う私の嫌いな「社会性」というやつにも意味があると感じたのは、私が彼の仕事を見たときに感じた素直な感想です。一言で言えば、真面目だけど極端に要領が悪い。それでも頑張っている姿を見て私は彼を応援していました。周りの先輩社員も同様で、仕事を教えてあげたり、良さそうな案件を彼に振ってあげたり。ヤツはまだ社会人になったばかりだ、いつか成長してくれる、そう信じて、私達は彼を見守っていました。

暗い顔をした彼に「お話があります」と呼び出されたのは、彼が入社後1年を過ぎた頃だったと記憶しています。話の内容はこうです。「高速でオービスに写真を撮られて免停になった。だから1ヶ月間は車が運転できない。」私のいる会社では車を運転して営業活動をするのがメインです。車を使えないと仕事になりません。これは社会人としての意識の問題で、彼はそれを理解していなかった、そう宣言したに等しいのです。「ただの使えないヤツ」なら救いがあります。でもこれはそれ以前の問題。私はもはや彼のことが解らなくなっていました。彼は社員一同のいる前で涙を流しながら、この件を謝罪しました。しかし数名いる先輩社員からは総スカンをくらい、無視をされるようになり、彼は社内で孤立しました。それでも私は彼とは友達だし、彼の事を昔から知っていたし、まだ先があると信じて、彼を応援し続けました。そして、彼は仕事を続けました。何かにおびえたような顔をしながら。

彼の結婚式は平日開催でした。当然、仕事がある日だと知っての事です。その日取りは奥さんが決めたのだそうで、理由は「ゾロ目の日だから」との事。結婚式というのは(基本は)一生に一度きりのことですし、なによりも長い友人の結婚式です。私は会社を休んで出席することにしました(新郎である彼も当然会社を休んでいます)。彼が新婚旅行に行ったのどうかは忘れました。流石に空気を読んでそれは行かなかったような。さていよいよ結婚もしたし、近いうちに子供も産まれてくるのだそうです。これはより一層仕事に精を出して貰わねばなりませんな、と同い年の彼に向けてそう思いました。

会社の先輩社員が一人転職し、彼に回る仕事が増えてきました。未だに仕事の要領は悪く、売上も上がらず、他の先輩からは冷たくされたままでしたが、それでも頑張っている姿を見て、私は彼の将来に期待をしていました。そんな頃です、また彼に呼び出されました。今回の話は簡単で、短い言葉です。しかし今思い返しても私には決して許せる言葉ではありませんでした。彼が言ったのは、ただ一言、こう。「売上が上がれば僕の給料も上げてもらえますか。」耳にピアスを付けて遊んでいたあの頃のヤツなら、決して吐かない言葉。あの頃のあいつならこう言うでしょう、「これだけの売上を上げたんだから俺の給料もっと上げろよ」と。

先の彼の結婚式で、私は二人の写真を沢山撮りました。それを何枚も印刷して彼に渡しました。「ありがとう。」彼は笑顔でそう言いました。数日後、彼から1通の封筒を渡されました。きっとお礼か何かでしょう。たかが写真如きでお礼をされるのも悪い気がしましたが、でもまあ私も仕事を休んで式に出席したし、彼なりになにか感謝してくれているのかな、そう思いました。封筒を開けると、そこには「選別されたのち不要と判断された写真」がたくさん入っていました。はい、この状況を改めて説明します。私は彼に写真を複数枚あげました。彼はそれを自宅に持って帰り奥さんに渡しました。奥さんはその中から自分が気に入った写真を数枚だけ取り、残りの「気に入らなかった写真」を私に返すよう彼に指示しました。彼は不要な写真を封筒に入れ、私に返しました。人にあげた写真を返されたのは、後にも先のもこの時だけです。写真を返された私は本当に意味が分からなくて、混乱して、様々な解釈を試みましたが、結局「あの奥さんはちょっとおかしい」という結論以外には行き着きませんでした。思い返せば人の迷惑を顧みないゾロ目の件もそう。彼に仕事を教える為二人で一緒の車に乗っていたときの昼休み。昼飯をどうするか彼に聞いた所、妻の作ったおにぎりを持ってきたからそれを食べると。大きめのおにぎりを取り出し、ひとくち食べた彼は、妙に安堵した表情で「よかった・・・」と言いました。そして「今日は梅干しでした」と。意味が分からなくても大丈夫です、私も意味が分かりませんでしたから。私は彼に意味を問いました。すると「昨日はおにぎりの具にキャラメルが入っていました」と答える。『え?なにが?なんで??』彼に聞くと、「嫁が、面白いからって言って、おにぎりにいろんな具を入れるんです。」そう言って笑いました。

彼は考えることを止めていました。正確には、いつの頃からかもう「考えること」を完全に止めてしまっていたのです。それは昔の仲間のこと、辞めた高校のこと、まともではない仕事のこと、別れてすぐに別の男と結婚して子供が産まれた元彼女のこと、自分が結婚した女の異常性のこと、会社の先輩のこと、屈辱の涙のこと、親友だった私のこと、かつて感じていたピアスの穴の痛みのことまでも。考えることを止めたから、彼はギリギリ生ていられて、それ以上に望む物は何もない。私が許せないのは、あいつの自分の意思では無い台詞、愛してもいない嫁に言わされた台詞、全てを投げ出してしまったあいつの心。結局、彼は何も変わりませんでした。「二度目の免停」を犯した社員を養っておけるほど、会社というものは余裕がある訳ではありません。私は彼を退職させました。

私の元に知らない会社からの電話がありました。「以前御社にお勤めの○○さんについてなのですが・・・」彼が当社を退職後、新しく応募した会社の人事の方だそうです。私はただ『彼は非常に真面目でした、』と伝え、その電話を切りました。それから現在に至るまで、彼には一度も会っていません。

その後間もなく風の噂で、彼が新しい職場に勤めていると聞きました。私は私の仕事に没頭していました。それから3年ほど経ったあるとき、彼の「例の奥さん」から私宛に連絡がありました。「昨日から兄が帰ってこないのだけど、鴨さん知らない?」もちろん私は知りません。職場にも何の連絡も無く出勤して来ないのだそうです。状況を聞くと、どうやら考えられるのは「失踪」か「自殺」の二択な状況のようです。いずれにしても宜しい状況ではありません。私はすぐさま双子の弟に連絡を取りました。弟は兄が行方不明であることを知らなかったという。弟が実家に連絡を取っても、実家も兄がどこへ行ったかは知らないのだそうです。私は当時の旧友数名に連絡を取り、事態を伝えました。旧友の中には、先に記した「結婚した共通の友人(Aとする)」がいます。Aは兄に彼女(後の嫁)を紹介したやつで、兄とは最も親交長く、私以上に兄と仲の良かった男です。「仲が良かった」と過去形になるのには理由があります。Aは仲間内では一番早く結婚し、子供を設け、そして離婚しました。離婚するには夫、妻、それぞれに理由があるわけですが、そのときの離婚の場合は一方的にA(夫)が悪いようでした。まだ幼い子供を放っておいて家にも帰らなかったそうです。そしてどこか知らない女の家に住み着いているのだとか。そんな話を当時兄から聞きました。兄の嫁もそう言っていました。後に聞いた話ですが、兄と嫁は、Aの奥さん側に立ち、あること無いこと様々なことを法廷で証言したのだそうです。

Aの離婚成立後、私はAとは数年間連絡を取っていませんでしたが、事態が事態なだけに急いで連絡を取りました。状況を話すとAは「分かった」とただそれだけ言いました。数日後、数年ぶりに昔の仲間が集まりました。場所は昔よく行った安い居酒屋です。みんな30歳を越えていました。Aとも数年ぶりに会いました。兄の失踪の件、Aはここ数日、兄が行きそうな場所を昼夜問わず探し歩いたのだそうです。それでも見つからなかったと、残念そうな顔で言っていました。今回の集会は兄の件が主題ではありますが、それでも久しぶりに会う仲間達、そして酒の席、近況報告なども飛び交います。離婚の件で私はAにあまり良い印象を持っていませんでしたが、詳しい話は聞いていなかったので、その席で離婚の件について聞きました。やはり、離婚するには夫、妻、それぞれに理由があるわけです。Aの口から発せられる当時のAの状況は、聞けば聞くほどもっともな物でした。子供の事はかわいそうでしたが、それでもその状況での離婚は仕方の無いものでした。離婚後数年間は私達旧友と離れ一切の連絡を絶っていたAでしたが、その理由を彼は「人間不信だった」と言いました。小さな子供の頃からの大親友、二人で一緒にピアスの穴を開けた大親友、その大親友は知らない間に考えることを止めていて、Aの事が嫌いだった嫁に言われるがまま、証言台に立ったのだそうです。事の大小はあれど、Aも私と同じ裏切りを受けていたのでした。

さらに数年が経ち、兄が実家に戻っているとの情報を得ました。兄がどう過ごしていたのか弟に聞くと、「浮浪者をやっていた」との事。『ああ、そうなんだ』と私は弟に言いました。どうせそんな所だろう。あいつには死ぬ勇気さえなかったはずだから。兄が失踪した理由が「嫁からの暴力」だったというのも、なんとも言えません。そのくせ子供は2人も作っている。本物のバカです。さて離婚調停だ、と進かと思いきや、嫁側が一切それを拒否しているのだそうで。理由は「結婚したときに兄の親がくれたマンションを離れたくない」からだとか。兄も兄で、別に離婚とかどうでもいい、そんな態度なんだそうです。親も、弟も、本人達も、もう何もかもどうでもいい。Aと私二人で、兄が戻ってきたという実家を訪問しました。最近では部屋にこもってずっとネットゲームをやっている、誰にも会いたくないみたい、折角会いに来てくれたのにごめんね。マンションのエントランスまで降りてきてくれた兄のお母さんはそう言いました。打つ手無し。

何億分の一の確立で、もしお前がこれを見る事があれば、俺はお前に言ってやりたい。まず死ね。お前の気が済むまで何度でも死ね。何度も死んで気が済んだら一度出てこい。俺とAの前に顔を出せ。そしたら俺とAに一発ずつ殴らせろ。その時のお前はこう言うんだ「俺を殴ってくれ」と。一発殴ったらそれで全部おしまいだ。そのままいつかの居酒屋に行こうぜ。死ぬほど飲んだらそのままカラオケだ。行くのは勿論あの頃と同じ深夜のオールだ。お前の気の済むまで何曲でも歌っていいぜ。そしてお前の好きだった味の薄いスクリュードライバーを何杯でも飲ませてやる。カラオケに飽きたら外に出ようぜ。そのときにもし朝が来てたら、朝日に向かって歩いてみうよぜ。この世界だって、そんなに悪いことばかりじゃ無い。ションベン臭い裏路地の電信柱にゲロを吐けば全部スッキリするだろ。そしたら俺のお気に入りのピアスをお前にやるよ。それは太めの痛いヤツだ。それを左耳に付けて、そして、もう一度、生きてみろよ。