キジログ@愛

鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

小さなスクラップ・アンド・ビルド

 外回り営業の途中、昼ご飯を買おうと立ち寄ったコンビニの雑誌コーナーで「ゴルゴ13」第200巻が売られているのを目にした。長寿漫画として有名な作品であるがついに200巻を超えたらしい。ある時期、私は誰かから「好きな漫画は何か」と聞かれたら必ずこの漫画を挙げていたことがある。そう答えると質問者は大抵「え、渋いね」などと言って苦笑にも似たおかしな表情を浮かべるのだ。コンビニの雑誌コーナーでそんな事を私は思い出した。

 ゴルゴ13の漫画を初めて読んだのは小学生の頃、友人の家に置いてあったそれであった。と言っても小学生の友人がそんな大人びた漫画を読むわけではなく、本の持ち主は友人の遠縁にあたる年長の青年で、いわゆる「親戚のアニキ」であった。当時友人宅にはファミコン部屋なる小部屋があって、私たちはそこに入り浸り一日中TVゲームに没頭していた。しかしファミコンカセットの鮮度にも限界がある。ゲームにも飽き、公園遊びにも飽き切っていた子供達がなにか他に遊びを求めるのは必然であった。

 ファミコン部屋にあるのはアニキが置いていった弦の切れたギターであったり、片方しかないスキーの板であったり、数回しか使っていなさそうなフルフェイスのヘルメットであったり、薬師丸ひろ子の色褪せたポスターであったり、それと、小学生には少々刺激の強い雑誌もあったり・・・(押し入れの奥深くに隠されていたそれを見つけたのは私たちが家の中で”見つかったら一発で死ぬから絶対に見つかってはいけないごっこ!”をしている最中であった。広い家だったので我々は長い間それに気が付かなかった)。それらはかつて青年により消費された青春の残滓であり、幼い私たちに見知らぬ世界への憧憬の念を抱かせたものだ。

 しかし、子供の時間は無限である。就職したアニキが捨て置いたオモチャにも飽き、ファミコンにも飽きた私が手に取ったのがなんだか小難しい感じのするゴルゴ13の単行本であった(それは確か第40巻前後だったと記憶している)。でも絵は劇画調だし、文字は多いし、というかそもそも読めない漢字ばかりだ。前に一度読んでみたときは内容が全く分からず、とりあえずエッチなシーンだけをチラリと読んではすぐその辺にぽいと投げ捨てたのだが、しかし意味も分からず壊れたギターをジャカジャカ鳴らす事だとか、構造を完璧に把握した家の中でかくれんぼをする事などに飽き飽きしていた少年にとってはそれが唯一残された未開の娯楽だったのだ。さて、暇に任せてできるだけ時間をかけ丁寧に読んだつもりだったがやはり内容が分からず、結局その単行本は前回と同じく不遇な末路を辿るのである。

 子供時代は誰にとっても特別だ。子供にはただ愉楽を求め怠惰に時を消費する権利がある。何も知らなくていい、何も分からなくていい。ただ楽しければそれでいいのだ。親にも決して言わない大人になることへの不安と、同じように胸に秘めた憧れ。私の中でゴルゴ13はそんな気持ちを思い起こさせてくれる、ちょっとした象徴なのだ。

 

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 先週末、実家を訪れる機会があった。総白髪の母から「今が一番きれいだからみんなで桜を見ておいで」と勧められ、近所の公園(桜の名所として有名だ)を散歩した。子供の頃はよくここで野球をしたものだ。だれかが”ホームラン”を打つとその後茂みに入ったボールを探すのが大変だった。この公園は今から20年ほど前に全面改装され、かつて私たちが遊んだ遊具や砂場や”ひょうたん島”はことごとく取り除かれた。そのお陰で広場の面積は昔とは見違えるほど広くなった。今ならどれだけ飛距離のあるホームランを打っても茂みには到底届かないだろう。広く整備の行き届いた広場の真ん中で、公園脇の新築マンションに越してきたらしい若い子連れの夫婦がのどかに散歩をしていた。

 公園を出ればそこは私の町だ。私の持つ最も古い記憶ではこの町の地べたは土と石とで構成されていて、木で出来た電信柱には裸電球と蕎麦屋のブリキ看板がくくり付けられていた。肉は肉屋、魚は魚屋、豆腐は豆腐屋で買うのが当たり前の時代。だが時間はいろいろな事柄を変化させる。アスファルトに埋め込まれた頑強な石柱は各家庭に安定した電力を供給する。スーパーマーケットに行けば必要な物は全てそこで買うことができる。広く綺麗な公園は多くの人々の憩いの場となる。変わりゆく風景。かつての私の町。「昔は良かった」なんて私は言わない。人々の生活は以前と比べ遙かに便利になったのだ。それでいいじゃないか。

 

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 久しぶりに町を歩いて知ったが、友人と行った思い出の銭湯が潰れていた。よく母におつかいを頼まれた米屋も潰れ、金物屋コンビニエンスストアに変わり、それに食われたスーパーマーケットは先月末で店仕舞いをしたようだった。少し頭のおかしな婆さんが住んでいたボロボロのアパートは取り壊され、マンション建設予定地との看板が立っている。広かったあの友人宅もすでになく、そこには狭小な建売住宅が3棟並んでいて、今では知らないひとたちが住んでいる。  

「ねぇ、早くおばあちゃんちに帰ろうよ。桜飽きたし。てかただ歩いててもつまんなくない?」
「そうだな、お前の言うとおりただ歩いていてもつまらないかもな」
「じゃあほら帰ろ。それよりさ、明日友達と遊びにいくんだけど」
「・・・なんだ、また小遣いが欲しいのか?」

 まもなく母親の背丈を追い越すであろう少女の”素直さ”に私は苦笑する他なかった。そう、子供時代は誰にとっても特別なのだ。ただ楽しければそれでいい。

「でも帰る前にあそこのコンビニに寄っていこう。おばあちゃんにお土産を買うのと、あと漫画本を一冊買いたくてね。・・・あ、お前にもジュース買ってやろうか?」
「は?ジュース?いらないし」

 町も人も少しずつ変わっていく。そして私自身もその中にいる。だがそれでいいのだ。世界がどんなに変わろうとも、ずっと変わらない物がこの胸の中にはあるのだから。

 

 

 

 

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