キジログ@愛

鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

タバコは俺らの罰ゲーム

精神を病んでいると飲酒喫煙に逃げたくなるものですよね、かく言う私も例外ではありません。しかし私に関しては飲酒は医者から禁止されているので、酒はたまにしか飲みません。その分タバコの量が増えています。ではなぜ精神を病むとタバコが欲しくなるのでしょうか。

 

タバコの煙を肺に吸入すると約7秒でニコチンが脳内に到達し、「ニコチンの欠乏」から解放された(それも急激に)脳みそは快感を得ます。

私はこの脳内での作用が、うつ病で言われるセロトニンノルアドレナリンの多寡に似ているような気がするのです。うつ病の原因は未だはっきりとは分かっていないらしいのですが、一説には脳内の神経物質(セロトニンノルアドレナリンなど)が不足しているから起こるのだと言われています。私の実感としても、脳内物質が足りないせいでどうしても意欲が湧かなかったり抑うつ状態になっているような気がします。

そんな「何かが足りていない」脳みそみ対しニコチンという化学物質を与えると、何かしらんけど代替的に脳内が満たされる(気がする)のです。

 

ただこの現代社会においては、喫煙の習慣を持つことは健康面はもとより社会的にも経済的にも損でしかありません。タバコには数百種類の発がん性物質が含まれていると言われますし、最近ではタバコを吸う場所も限定されており、周囲からはやれ臭いがクサイと文句を言われ、昔は200円で買えたマイルドセブンも今や580円です。

そんな百害あって一理なしのタバコをお前はなぜ吸うのかと問われれば、論理的な答えとしては「私が意志の弱いニコチン中毒者だから」としか言えません。タバコを吸うとイライラが解消するとか、喫煙所で上司とコミュニケーションを取れる、とか所謂タバコの利点をあげつらつ喫煙者もいると思いますが、それらが論理的な理由でないことは残念ながら既に世間にバレています。

 

私は意志の弱いニコチン中毒者ですが、しかし同時にロジカルにものを考えるタイプですので、先述の喫煙による各種損失にはそれなりに苦しめられています。論理的でないことを、かれこれ30年近く続けているのですから。

自分を騙しながら今日もタバコを吸っています。それはそれでツラいものです。それでも「じゃあ禁煙しよう」とならないのが中毒者たる所以。

なんとか自分をなだめようと考え付いたのが、「タバコは俺達にとっての罰ゲームである」という思考です。私が喫煙とかいう損しかしない愚行を行わざるを得ないのは、こんな弱い精神に生まれてしまった自分に対する罰なのであると。そう考えたら、なぜだか、ほんのちょっとだけ気持ちが楽になりました。今は少しでも気持ちを楽にして過ごすのが大事ですし(うつ病的に)、まあそれでいいのでしょう。

 

先日、思い付いてタバコ屋に行き、手巻きタバコを買って来ました。タバコの「葉っぱ」と「巻き紙」が別々になっていて、それらを自分で巻いて手作りのタバコを作るのです。上手く巻くには慣れが必要で、私にはまだ上手く出来ません。それでもなんとか一本巻いて、それを吸ってみました。タバコ葉の香りが強く、味も深い。鼻から紫煙を吐き出しながら、私は思うのです。私に与えられた罰の、なんと甘美なことか。