欠損
『ラフロイグ(Laphroaig)』という名のウイスキーがあります。
スコットランド西海岸沖にあるアイラ島で蒸留されたシングルモルト・ウイスキー(スコッチ)です。
アイラ島原産のスコッチはその独特のスモーキーフレーバーが特長です。
中でもこのラフロイグは特にピート香が強烈で、その薬品にも似たヨード臭は好みが分かれる所です。
ラフロイグの販売元であるサントリーのWEBサイトには以下ような記述がありました。
You either love it or hate it.
好きになるか、
嫌いになるかのどちらか。
メーカーにそう言わせるほどクセの強いお酒です。
飲んでいるだけで周りの人から「薬臭い」と嫌な顔をされるレベルです。
しかしその薬品臭の奥には濃厚な潮と大地の香り、なめらかで芳醇なバニラの甘みが隠されています。
シーバスのような「整った香り」のするブレンデッドもいいでしょう。
シーバスは私も好きですし美味しいと思います。
でもラフロイグだけが持つその独特かつ強烈な味を一度知ってしまうと、他の酒が霞んで見えてしまいます。
私はこの薬臭いウイスキーをとても愛しているのです。
*
過去に国産のミニバンを購入したことがあります。
いわゆるファミリーカーで、販売台数も常に上位にある車種でした。
8人同時に乗れるし、カーゴスペースも広くて仕事にも使えます。
メーカー純正のナビは高級ではないにしても必要以上の性能を携えています。
ハンドルに付いているスイッチでオーディオの切替が出来るし電話の応答も出来ます。
CVT搭載の2Lエンジンは大変なめらかで車体の割に燃費も上々でした。
更にはディーラーの対応も懇切丁寧。
私にとっては全くと言っていいほど不足のない車でした。
余談ですが、ミニバンに乗っていると端から見てDQN臭がするのか、他の車から無理な割り込みをされる確率が非常に低くなります(笑)
購入から暫くは良い気分でこの車に乗っていました。
乗っていて本当に何も問題がありませんし、トラブルが起こる気配は微塵もありません。
本当に不足がない。
でもなぜだか乗っていて、とてもつまらないと思いました。
「つまらない」という気持ちは距離を伸ばせば伸ばすほど増していきました。
ついには我慢できなくなり新車購入から1年も経たないうちに手放してしまいました。
入れ替わりで購入した車は1300ccの小型マニュアル車、馬力がないのに重い車重、燃費が悪い、そのくせハイオク指定、見た目がポップなのでやたらと割り込みをされる、静粛性がない、故障が多い、そのくせ部品取り寄せに何週間もかかる、ブレーキの”鳴り”は仕様、ディーラーオプションのナビがクソ性能、それ以上にディーラー自体がクソ、・・というとんでもないものでした。
車自体にもクセがあり運転に慣れるまでは大変です。
正直不足だらけです。
でもなぜだかこっちは乗っていてとても楽しいのです。
トラブルが発生しても「しょうがないなー」と苦笑しながらもそれほど嫌な気持ちにはなりません。
走行距離は間もなく10万キロになります。2回目の車検も近付いてきました。
何カ所か傷も付いていますけど、まだまだこの車に乗り続けるつもりです。
私はこの不足だらけの車をとても愛しているのです。
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昔愛した人はどこか寂しげな雰囲気を持った人でした。
明るい笑顔の陰にはいつも悲しみが潜んでいました。
美人ではありません。”かわいい”というのとも違う。
いうならば彼女は並の容姿をした女性でした。
例えばスーパーモデルのように容姿端麗で頭脳明晰、性格もいい、ついでに経済的にも恵まれている、そんな絵に描いたような完璧な女性が目の前に現れたとしたらどう思うでしょうか。
とても素敵な女性です。
でも恐らくは、私が彼女を愛することはないでしょう。
『普通とは何か』といった議題が、しばしば俎上に載せられます。
私はその場合に言う「普通」とは「理想」と同義だと思っています。
でも理想の存在なんてこの世界には存在しません。
誰もが何かしらの欠損を抱えていて、だからこそ、その生きる姿は美しいのだと私は思うのです。
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あれから20年近く経ちます。
あの人が今どうしているのか私には分かりません。
結婚でもして幸せになったのか、あるいは未だに独りなのか。
思い出す顔は随分とぼやけたものとなりました。
人の記憶というのは時間と共に確実に薄れていくようです。
そんな当たり前の事を、この歳になって初めて知りました。
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深夜のリビングで一人、ロックグラスを傾けていました。
虚しい思考は43度のアルコールと混ざり合って、そうしてぐちゃぐちゃになって鳩尾に溶けていきます。
私もまた欠損を抱えた人間です。
やはり「普通」にはなれません。
そして普通じゃない人間は、同じ過ちを繰り返すみたい。
頭に想い浮かべるのは、鮮明な記憶と新しい顔。そうして、出口のない思考が行き着くのは、たったひとつ。
欠損を抱えたあなたを、私がとても愛している事。
ただ、それだけを。
(高須院長と西原さんに敬意を込めて)