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鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

【ネタバレなし】坂本眞一「孤高の人」をご紹介【漫画】

皆さんは漫画家の「坂本眞一」さんをご存知でしょうか。
先日テレビを見ていたらこの坂本眞一さんと歌手の中島美嘉さんの対談番組が放送されていて、この2人がとても好きな私は番組を大変興味深く視聴いたしました。

坂本先生は主に青年誌に連載を持たれる漫画家さんで、現在はグランドジャンプにて中世フランスの処刑人を主人公とする作品「イノサン rouge」を連載されています。

とても有名な先生ではあると思いますが、しかし私が思う程にはネット上でお名前を見かけず、また正当な評価をされた記事もあまり見かけない気がしますので、僭越ながら当ブログで坂本先生の作品とその魅力を紹介させて頂きたく思います。

なお「孤高の人」は我が人生におけるナンバーワン漫画でして、ゆえに坂本眞一先生は私が最も好きな漫画家です。好き過ぎて補正入りまくりの記事になるかと思いますが、もし坂本先生の作品をご存知ない方がいらっしゃいましたらこの機会に是非「孤高の人」を通じ先生の作品の魅力を知って頂ければ私はとても嬉しく思います。また、今回紹介する作品は特に人生における「孤独」を感じたことがある方に強くおすすめしたい作品でもあります。

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「孤高の人」以前の坂本眞一

私が始めて坂本先生の漫画を読んだのは当時ヤングジャンプに掲載されていた「益荒王」と言う漫画で、これは正直なんて事ない「バトル漫画」でした。連載もあまり長く続かなかった様に記憶しています。しかし絵は線が細いながらも迫力があり、絵が上手い人だなー程度の印象は持っていました。
先日のテレビで知りましたが、先生はこの益荒王に至るまで少年誌でバトル系の漫画をいくつか書いておられた様です。しかしいずれも長く続かなかったとか。

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「益荒王」 -  人並み外れた「デカチ○」がコンプレックスの主人公「大和」くん

「孤高の人」連載開始

益荒王の連載が終わり、しばらくして今回紹介する「孤高の人」の連載が開始されました。ざっくり言うとこの漫画は主人公の「根暗でコミュ障な男子高校生」が転校を期に偶然出会った「山登り」を通じて成長していくと言うお話です。(※この展開は2巻までです。以降の展開は後述)
仲間やヒロイン、ライバルなども登場し、熱い山登りバトルが繰り広げられそうな雰囲気満載で物語はスタートします。またもやなんて事ない青春漫画が始まったなー、と当時の私は認識していました。

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1巻より - はじめは学園漫画の体。主人公はクールではなくただの根暗

従来路線の連載初期

恐らくは出版社や編集者の意図が働いていたのでしょう。先生自身も無意識にそうしていたのかも知れません。なんせ掲載誌は「ヤングジャンプ」です。青年誌ですから「エロ」「バイオレンス」「青春」がメイン。特に連載開始時はその方向で進むのが定石なのでしょう。1巻を読むと出てくるキャラが「ハンドジャムを決めろ!」とか「あ、あいつ、ランジ決めやがった・・・!!!」とか「ヒールフック・・・!!!」みたいに技名を連呼したりします。この段階では正直よくある普通の青年漫画です。

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1巻より - 「マ・・・マントリング・・・!!!」怒濤の技名ラッシュ。

途中で急変する作風

主人公の「森文太郎」は転校先の学校で恩師となる大西先生や同級生でクライマー仲間の宮本とともに山登りを始め、徐々にですが彼らに心を開いていきます。しかしクライミング部の合宿でヒロインが滑落事故に会い、それを危険な方法で助けた文太郎のせいで部は活動休止を余儀なくされます。「結局、俺がいない方が上手く行くんだ」そしてまた自分の殻に閉じこもってしまう文太郎。と、この辺(2巻辺り)までは連載開始からのノリが継続されます。でもこの後です。重大な事故が起きると同時に作風が一気に急変します。
なお作風が急に変わった背景には漫画の「原作者」がクレジットから外れたという事実があります。なぜ外れたのかは分かりませんが当初二人付いていた原作者が3巻頃に一人消え、そして5巻でもう一人も消え、以降は坂本先生の単独作品となるのです。

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2巻より - 大西先生の擁護もむなしくその場を去る主人公

衝撃の「第3巻」

とあるきっかけで文太郎は雪山に登ることになります。俗世間のしがらみに嫌気が差した文太郎は逃げるように雪山へと向かいます。予定より早く雪山に着いた文太郎は軽装のまま一人で山を下見しに行きますが、ここで天候が急変し吹雪が起きてしまいます。雪山において軽装で遭難する事はすなわち死を意味します。しかし文太郎はもう引き返せない所まで来ていました。
遭難した文太郎を救助すべく「とある近しい人物」が雪山に登るのですが、ここでなんと逆にその人物が落石に会い事故死してしまうのです。・・・ここです!ここがこの漫画の重要なポイントです!最近の漫画は安易に「主要人物を死なせれば衝撃的でしょ?」みたいな風潮を個人的には感じるのですが、この漫画ではここで死ぬ人物の持つキャラ性、死に至る原因となる精神状態の変遷、そして何よりこの人物が死が文太郎に与える絶望的な結果、それらの描写が精神的にエグいのです。
さあここからがこの漫画のメインです。

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3巻より - 落石が頭部を直撃し即死。後の葬式のシーンも精神的にエグい。

本編とも言える4巻以降

件の死亡事故が起きて以降、文太郎はもう決して引き返す事の出来ない「孤独」の世界を生きる事になります。他人との接触も一切を拒否。そんな文太郎に残った物は、あれ程の事件があってもついに消えることのなかった「山への情熱」だけです。「世界一の山に登る」事だけが文太郎の生きるただ一つの意味となるのです。
この先の物語は是非漫画本編でお楽しみ頂きたいのですが、ネタバレしない程度にポイントだけ紹介します。

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4巻より - 何も無い部屋。食費を切り詰め、水道も止まる。全ては山の資金に。

ポイント①「恐ろしくリアルな人物描写」

坂本先生は絵が上手いのですが、単に画力という意味ではなくその表現力が卓越している点で「上手い」のです。例えば4巻に出てくる女性事務員ですが、その「表情」「髪型」「目付き」「服装」「ポーズ」など細部に至るまで描写が大変リアルでして、直接的な描写が無くとも描かれた絵を一目見ただけで読者はその人物の背景から思考まで全てを理解できるのです。あとこれは文字での表現ではありますが「女性のお洒落着から防虫剤の臭いが漂う」なんて、彼女に対する決定的な説明以外の何者でもありません。事務員さん以外にも出てくる人物はすべてその描写を見ればどんな人間なのかが分かります。これは漫画の画として本当にすごい事だと思います。

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4巻より - 文太郎が休日出勤する事を知り上記の台詞を吐く事務員さん。怖い。

ポイント②「心に刺さる独特の表現技法」

他人とは一切関わりたくない文太郎。彼はただ他人と関わらずに済む、完全に一人になれる山へ登りたいだけなのです。しかし彼を取り巻く「人間」達がそれを許しません。文太郎の夢は世界最難関かつ前人未踏の8000m峰「K2東壁」を制することなのですが、経済面もさることながら彼を取り巻く様々な「人間」達によってその夢はことごとく阻まれてしまうのです。
その人間模様に巻き込まれた文太郎の精神状態を表現する技法が独特なのですが、しかしそれは表現を難解にするためのものでは無く、逆に現代を生きる私たちにとってより分かり易い表現にするための手段なのです。
下の画像はK2を目指す山岳チームの一員となった文太郎がチーム内での「上下関係」に身を置いたときに襲われた感情を表現した物です。
また、発生した自然現象の表現として雪山の巨大氷壁が崩れ落ちる様子が「ビルの倒壊」や「4tトラックの転落」として描かれるなど、読者はその圧倒的な自然の脅威をより現実感を持って感じ取ることが出来ます。

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5巻より - 一人になりたくて登ったはずの「山」。しかしそこは「社会」そのものだった 。

ポイント③「人間と孤独」

この漫画のテーマは「人間」と「孤独」だと私は思っています。そして「孤独」と「孤高」は違うのだと。孤独感を表現したシーンで私が特に好きなのは富士山の頂上で気象観測をしている時の描写です。数ヶ月間に及び観測所で孤独に過ごしていた文太郎。どこからか迷い込んできたネズミだけが唯一の話し相手です。
ある日文太郎は富士山で遭難した登山者を自分の住む観測所に保護します。久しぶりに「人間」と接した文太郎。そのとき、孤独を求めていたはずの文太郎の心に変化が訪れるのです。それはついに抑えきれなくなった寂しさ、人恋しさ。たまらなく膨らんだその感情が「怪物」として描写されます。孤独を求め山に生きればそれだけで良かったはずの文太郎でしたが、このとき初めて自身が「人間」として失った物の大きさに気が付きます。しかし彼はすでに「人間」では無くなっていたのです。

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12巻より - 遭難者が無事に帰った後。観測所内にて独り。もはや自分が人間でない事を知る。

ポイント④「 "擬音" が無い事を気付かせない」

先述のテレビ番組で言及されていて私も初めて気が付いたのですが、この漫画ではある時から画に擬音が一切付かなくなります。でもこれは言われなければ誰も気が付かないのではないでしょうか。つまりはそれだけ坂本先生の画には説得力があるのです。台詞が一切無い回すらありますが、しかしそこらの漫画(失礼)よりも何倍もその情景や想いが伝わってくるのです。私が坂本先生の漫画を好きなのは無意識ながらもこの点が大いに影響していると思います。また擬音が無い故に漫画の域を超えた「尋常では無いリアル感」を出せているのだとも思います。言うなれば坂本先生の「絵」は画家の描くそれと同質のものなのです。

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12巻より - 崩れゆく雪山。独り難関に挑む文太郎。

ポイント⑤「クライマックス」

この物語のクライマックスは「K2東壁への挑戦」です。物語の後半になると文太郎は自身の勇気や周囲の人たちの助けにより「人間」として生きることが出来るようになります。「人間」として大切な物も得ることが出来ました。かつてあれほど焦がれた山への情熱は次第に薄くなっていきます。
すっかり丸くなった文太郎ですが、そこに現れたのがかつての山時代の知人です。とても人なつこく愛嬌のある人物でしたが、時を経て現れた彼は現在の文太郎とは裏腹に「人間」の体をなしていませんでした。そう、彼にはいろいろあったのです。(彼がこのようになってしまった原因やその後の顛末なども漫画内でちゃんと "エグく" 描写されますのでご安心下さい。)
文太郎はかつての自分を見ているようでした。知人の行なう、まるでその命を試すかのような危険な登頂を諫める文太郎でしたが、しかし逆に彼に触発され再び「山への情熱」が疼き始めてしまうのです。どんなに「人間」らしい生活をしていても、その情熱が完全に消え去る事はなかったのです。
で、結局K2へ挑戦することになるのですが、そこに至るまでの文太郎の精神の変遷や置かれた社会的状況に起因する葛藤が個人的に大変リアルに感じられまして、普通に考えたら別段泣くシーンでも無いのですが私はなぜかこの辺で毎回泣きそうになります。この辺は何も言わず是非本編を読んで頂きたく思います。ある程度の経験を経て大人と呼べる年齢に達している方なら共感できる部分は多いはずです。

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14巻より - 目の前には憧れ続けたK2。しかしここにも「人間」は潜んでいる。

そして山の上でもいろいろございまして、ついには頂上へ向かう最終のヘッドウォールへ取りかかることになります。あとほんのちょっとで文太郎の長年の夢が叶うのですが・・・。「人間」ではない時代に心の支えとしたK2を登っているという孤独で非人間的な「恍惚感」と、周囲の人の支えにより自分がはじめて「人間」として得られた大切な物。この二者の間で激しい葛藤が起こります。

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16巻より - 言うまでも無くこれは葛藤の図です。天候の急変により早急な決断が迫られるシーンで。

さてどちらの感情が勝つのでしょうか。それはご自身の目でお確かめ下さい。
私は最後の3巻なんてもう涙無くしては到底読めません。

ポイント⑥「裏テーマとしての "再会" 」

私はこの作品を十数回は通しで読んでいるのですが、今回の記事を書くにあたり改めていろいろ考えながら読んでおりました所、作品内にもうひとつのテーマが潜んでいることに気が付きました。そのテーマとは「再会」です。
文太郎と「人間」とが再会をする度に物語は転換点を迎えます。
1~2巻の青春漫画っぽい時に登場した人物達もその後の作風の変更によって "無かったこと" にされるのでは無く、むしろその後の物語に大変重要な意味を与える役割として再登場しますし、先述の文太郎にK2行きを決意させるかつての山の知人も再会時のその変貌ぶりによって文太郎を揺さぶるのです。
さらにはK2登攀中にも文太郎は思いがけない人物と再会します。本当に思いがけなさすぎて連載をリアルタイムで読んでいたときは正直「この人誰だっけ?」と全く思い出せないレベルの人物なのですが、しかしこの再会が物語上重要な意味を持つのはこの人物こそが作中を通して唯一の「孤高」の存在だという点です。この人物を通して文太郎は「孤独」とは違う「孤高」の存在を知るのです。
そして物語の最終盤に訪れるとある少女との再会についてですが・・・。これにはいろいろな解釈があるかと思いますが、私はこの少女は文太郎を「人間」たらしめるアイコン的存在であると考えています。そしてそれが文太郎に訪れる最終的な結末への伏線だったとするなら、それはずいぶんと気の長いものですし、なんかすごいことになってる気もします。(小並感)
この辺は皆様も色々と考えてみて下さい。

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13巻より - 再会した山の知人。山をやめますか?それとも人間やめますか?

 「孤高」と「孤独」の違いとは

この漫画のタイトルは「 "孤高" の人」であって「 "孤独" な人」ではありません。
「人間」は社会的な生き物ですからどうやっても一人では生きていけません。かつては社会を憎み、また社会からも憎まれた文太郎ですが、そんな彼は最後に一体何を得たのでしょうか。一人の人間に備わる「孤高」の精神とは一体どういったものなのでしょうか。その答えはぜひご自身で考えてみて下さい。人それぞれいろいろな答えがあるかと思います。
これら人間の持つ普遍的なテーマを圧倒的な表現力で読者に提示する坂本眞一先生は本当に素晴らしい漫画家だと思います。なおこの作品には原案となる作品があり、山岳小説で有名な新田次郎著「孤高の人」がそれです。

原案と漫画とでは時代設定も含め細部はいろいろ違っていますが、全体を通した話はほぼ同じです。(当たり前ですが)
私はこの原作小説も読みましたが、あえてネタバレしますと、小説版主人公の文太郎は最期には一人雪山で遭難し死亡します。でもこれは実在した人物における歴史的事実なのでご容赦下さい。
ですので漫画版の文太郎も順当に行けばK2で死ぬのですが、でも読者としては「事実を曲げてもいいから文太郎には死んで欲しくない」とか思っちゃうわけですよ。それはもうクライマックス時点では相当感情移入しまくってますからね。でも一方で歴史的事実は事実な訳です。さあ "神の手" はここをどのように描くのでしょうか。全ては作者である坂本眞一その人によって決定されます。読者としては自分らに媚びて安易に文太郎を生かすエンドにされるのもイヤだし、かといって文太郎が死んだら物語の後味も悪そう、とかわがままな事を思うわけです。
鬼才・坂本眞一の描いたその結末は果たして・・・?
私はあえてエンディングに関する感想は言いません。皆さんには是非ご自身の目で物語の結末を確認して頂きたいと思います。
なお、先生ご自身もエンディングは相当悩まれて描かれたそうです。 

先述の通り2巻ぐらいまでは作品の方向性が定まっておりませんが、それ以降は常に圧倒されるストーリーです。
あと、大事なので言っておきますがこの漫画、いわゆるリア充な方が読んでも全く面白くないと思われます。誤解を恐れずに言いますが、全編を通して展開されるいわば「暗い精神世界」に身につまされる想いを微塵も抱けない御仁は恐らく「画力がすごい」ぐらいの感想しか出ないでしょう。そして大抵の場合は「鬱漫画」とか言って軽く切り捨ててしまうんです。f:id:gibraltar_may_tumble:20170610141907p:plain

14巻冒頭より - まあパッと見は鬱漫画ですがね

冒頭にも書きましたが、この漫画をおすすめできるのは人生における「孤独」を知る紳士淑女の皆様です。更に言うと「がんばって非リアからリアへ昇格できたけど、でも今も何か心に引っかかる物があるんだよね」という特異な境遇にある方にはど真ん中かと思います。(私がそうだと言うわけではありませんけど)
ここまででネタバレを避けたいが故この作品の魅力をほとんど説明できていない気もしますが、でも本当に素晴らしい作品ですのでちょっとでも気になった方は是非一度この作品を読んで頂ければ私としてはとても嬉しく思います。

さて、ではそろそろ私、一人で「孤独おベンチョ」したくなってきたのでこの辺で失礼させて頂きます。そして孤高の存在であり私の中心にそそり立つ8000m峰を(以下略)