キジログ@愛

鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

タバコとハンディキャップ

f:id:gibraltar_may_tumble:20190801232229j:imageネタが無ければ日記を書けばいいじゃない。というわけで今日も例の如くアラフォーのおじさんが最近の出来事について語るだけの日記です( ´_ゝ`)

五月の連休明けから急激に体調(というかメンタル)を崩しましてあーこれは五月病だわー辛いわーとか思いながらもどうにかして生きております。そしてある月曜日の朝。心身共に限界を超えた感があり、その所為でせっかく1ヶ月続いた禁煙を断念しました。で、ひと月ぶりにタバコを吸ったんですけど、いや、このしばらくぶりのタバコっていうのがですね…正直言って死ぬほど美味かったです。脳汁ドバドバ。その辺に転がってる快楽とは訳が違う。そんな感じでビックンビックンイキそうになりながら久しぶりの一本を吸い終わったのですがしかしその直後。目眩、頭痛、全身の力が抜け、口の中が不味い、臭い、汚い、などなど無数の後悔の念が押し寄せてきました。そりゃそうです。タバコを吸っていい事なんて何一つも無いって事は頭では十分に理解しているのですから。でも無理ぽ。全てにおいてマイナスである事が分かっていながらもまた罠に落ちてしまうのがニコチンという薬物の本当に恐ろしいところです。

そんなこんなで禁煙断念から1ヶ月ぐらいが経ちましたが、それはひどい一1ヶ月でした。私は常日頃から公私ともに心労を抱えるばかりの立場にあって、辛い時に寄りかかる場所や寄りかかれる人と言うのがいません。私は常にいろんなことを我慢していますが、でも言ってみれば大人ってのはそういうもんじゃないですか。自分が我慢する事で周りの状況がより良くなるのなら自分が我慢するしかないんです。…なんて言うと悲しくて涙が出ます。いや実際には出ないけど。でも我慢があまりにも続き、それが溜まりに溜まって限界を超えてしまうと、それはまるでダムが決壊するかの如く一気に全てが崩れ去ってしまうのです。ある日、限界を超え、心のダムが決壊しました。からの鬱状態に突入。何も出来る気がしません。でも仕事には行かなければならない。仕事を休める立場ではないし、悲しいことに私がいなくても会社が回ると思えるほど私は周りの人間を信頼できていません。家ではどう取り繕っても死んだ顔しか出来ない状態の人間が、一方で外に出たらそれなりに笑顔で客と対峙しなくてはならない。この辛さ。こうなると「なんでもいいから無理にでも脳汁を出せ」と本能から指令がかかります。それゆえ無意識のうちにニコチン、カフェイン、アルコールを多く摂取するようになるのです。本当はこんな毒物は一切摂りたくありません。でも無いと無理なのです。もはやこれら無しでは生きていく自信すら持つ事が出来なくなりました。

それは生来のものか、育ってきた環境か。原因は分かりません。でも確かに言えることは、私はハンディキャップを抱えながら生きているという事です。そしてそれは多くの人が同じように抱えているものです。そう、私達は決して埋まらないマイナスを抱えながら生きている。生きる事の意味など何も解らないまま。タバコの味を覚えた事は私に与えられた罰です。私のような人間が「生きる」という罪に対し、神が与えた罰なのです。抱えたハンディキャップを埋めるために、その罪を滅ぼすために、私は今日もタバコを吸うのです。

…といろいろ拗らせる程度にはタバコをやめたいけどやめられない状態に苦しんでいる人生です。たかがタバコ、されどタバコ。依存症とは本当に恐ろしいものです。今から何十年か後にふつうに肺癌を患い「ああ…あの時タバコをやめておけば…」とか言って後悔しながら死んでいく人生はマジで避けたいです。どうしたらいいですか?助けて神さま(  ˙ཫ˙  ) とか祈っていても仕方ないのでとりあえず今は禁煙に関する書籍を片っ端から漁っています。ニコチンガムも買いました。心身とも病まないように出来るだけ多くの睡眠時間を取るよう心がけています。先月は病みすぎていてほぼ行けなかったジム通いも今月から再開しました。食事も変に健康志向に偏り過ぎないようある程度は自由に好きなものを食べるようにしています。これで心が落ち着くのを待ってから、改めて禁煙にチャレンジしてみよう思っています。もし次もまた禁煙に失敗したとしても、私は再々チャレンジを試みるでしょう。人間の美点は諦めずに何度でもやり直せる事にあるのですから。