キジログ@愛

鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

『大丈夫』

昼休みの事務所。私が一人で静かに飯を食っているにも関わらず、事務のおばちゃんが私に話しかけてきます。近所のおばさんがどうだの、田舎の親戚がどうだのと、私にとっては全てがどうでもいい話です。私は黙ってPCの画面を見つめていました。このマシンガントークには相槌を打つ気力すら起きません。

急な人員整理が行われたお陰で事務所内はしばらく混乱しています。私は私で埋まらない穴を無理矢理埋めなくてはなりません。何をどうして良いのやら、全く分かりません。

いつもの私であれば、こんな状況に置かれた場合、自らの持てる精神と肉体を酷使してそれら全てを引き受けてしまいます。そして陰鬱な毎日に身を置くことになるのです。自分のことも、世界のことも、何も解らなくなり景色がぼやけていきます。

疲れています。仕事以外でもいろいろあります。あっちも整えなければいけないし、こっちの面倒も見なければならない。そういうのを全部を私がやらなければいけないんだそうです。私はただただ疲れています。

 

あるひとが私に言いました。

『大丈夫』だと。

『怖いものは怖い』

『でも大丈夫』

たったそれだけです。

私は考えることを止めました。その日の仕事を放り出して家に帰りました。そしてゆっくり風呂に入りご飯を食べ、テレビを見ながら寝ました。私は引き受けていた荷を下ろしました。

 

過去に一度、一人で出来る仕事、というワードで検索を試みたことがあります。その結果は『一人で出来る仕事なんてない』『みんな誰かと助け合って生きている』『人とのつながりを大切にしよう』。それは私の望んだ答えではありませんでした。

 

翌朝私は少し早めに起き、顔を洗って歯を磨きひげを剃って家を出ました。誰も居ない事務所内はいつもより散らかっていました。私はデスクに座ってPCの電源を入れ、黙ってログイン画面を見つめていました。しばらくして事務のおばちゃんが出勤してきました。

「あらやだ散らかってるじゃないの」

そういうとババアは自分の娘やら孫の話だったり、趣味の俳句の話だったり、(そしてこの話はもう5回目ぐらいなのですが)近所のスーパーマーケットが閉店して困っているなどという事を私に話しながら事務所を片付けていきました。話が終わる頃には、事務所内はいつもの程度に片付いていました。

「あのスーパーがなくなると不便になりますよね」

相槌どころか、私はババアに対し普通に話しかけてしまいました。なんてことだ。

「…あら!そうなのよ!もうほんと大変なの!わたしあそこでほら、いつも特売の卵買うじゃない」

話はしばらく続きそうです。私はPCにログインし、しゃべり続けるババアを完全に無視しながらその日の作業を始めました。

「そういえばキジちゃん、あの仕事、あたしがやっといたからね。あんたしっかりしなきゃダメよ」

「あ…助かります。ありがとうございます」

 

川の水はただ、あるがままに流れていて、そこに意思はないけれど、でもそれだけで多くの生命をはぐくんでいます。川の流れに逆らって立ち、それで苦しくなるならば、いっそ力を抜いて流れに身を任せればいい。水にからだを浮かべて空を見上げれば、無限の輝きを放つ太陽もまた、あるがままに世界を光で満たしているのだと知ることが出来ます。

 

明日からは私が、辞めさせられた社員から引き継いだお客、私の知らないお客への訪問が始まります。本当に急な人員整理のせいで引き継ぎなんてほとんど出来ていません。明日はのっけから謝罪行脚となることでしょう。

全てを引き受けなくてもいい。怖い物は怖くていい。

晩夏の優しくも厳しい陽光を浴びながら私は一人呟きました。

 

『でも、大丈夫。』

 

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