キジログ@愛

鴨宮☆隆がその半生を綴るブログ

タイ米の味

■夏の日の1993

1993年、日本は記録的な冷夏に襲われ米が大凶作、市場は混乱し『平成の米騒動』と呼ばれる自体に陥りました。マリー「お米がないならパンを食べればいいじゃない」とはいかないのが我々日本人なのです。お米大好きジャパニーズにとって米市場の安定は正に死活問題でした。

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マリー・パントコメット(-1973)

 

 

■真夏の夜の夢

野菜好き「このままでは全員残らず飢え死にだ!早くしろ!!間に合わなくなっても知らんぞーッ!!」米を求める民衆の不満は高まるばかり。もはや暴動寸前の民衆を抑えるべく、政府はタイ王国へ米の支援を要請することとしました。タイ王国政府はこれを快く引き受け、国家として備蓄していた全ての米を日本へ輸出したのです。

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野菜好き(戦闘民族)

 

 

■愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない

タイ王国の善意により取り急ぎ米の供給を回復した政府は、早速タイ米を国内市場へと流通させます。飢え死に寸前だった日本国民達は米屋に長蛇の列を成しこぞってタイ米を買い求めました。爺「おお、これはまさに・・・白米じゃ!」久し振りに米を手にした日本人達は大喜び。しかし、この米は日本人が長年慣れ親しんだ従来の日本米とは違っていたのです。庶民「ん?・・・この米なんか細長くね?」

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米穀小売り大手「ビッグライス有明店」に列を成す日本国民

 

 

■揺れる想い

違ったのは見た目だけではありません。タイ米を炊いて食べると独特のパサつきやクセのある臭いが強く日本人の主食としてはとても食べられるものではありませんでした。偏屈「こんなもの米ではない!クソだ!!」期待を裏切られ怒り狂う日本人達。市街地では再び暴動が起こりそうな気運が発生、慌てる政府。首相「はいはいはい。じゃあちょとだけ備蓄残ってる日本米と混ぜてあげますんで。それで許してちょんまげ」そうして誕生したのがタイ米と日本米のブレンド米です。なお、余計に不味くなった模様。

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記者会見に臨む碑文谷首相(当時)

 

 

■innocent world

不味い米を食わなくてはならない屈辱。日本を荒んだ空気が覆っていました。すでに資源(日本米)は完全に枯渇。街を歩けば至るところでケンカが絶えず、タトゥーを入れたモヒカンが汚物を消毒しています。まさに一足先に訪れた世紀末の様相。地獄は一年間にわたり続きました。堪え難きを堪え忍び難きを忍んだ我々ジャパニーズ達。神や仏に祈りました。そのお陰か翌年の1994年には日照が戻り米は大豊作。「やっぱ日本のお米はおいしいよね☆」「ライス万歳!万歳!万歳!」至るところでシュプレヒコールが上がったのです。

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当時の一般的な日本国民

 

 

■瞳そらさないで

大量に輸入された割には思うように消費されなかったタイ米。最後には二束三文で売りに出されていました。それでも買う人はいません。それほどまでにタイ米は日本人の口に合わなかったのです。市場に余る行き場の無いタイ米。そこに目を付けたのがかの「カレーの国」からやってきた男、スリラン・カ・ネイパール・チャイチャイ、その人だったのです。

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来日して間もない頃 - 仲間とCoCo壱を食べるチャイチャイ(中央/当時32歳)

 

 

■TRUE LOVE

インドからチャイチャイは市場に有り余るタイ米を安値で大量に買い求め、それを使ってカレー店「本格インドカレー☆チャイチャイ」を開業しました。本場で修業を積んだスパイシーなカレーの味は淡泊なタイ米によく馴染み、これまでインドカレーの味を知らなかった日本人達にも大受け。店はたちまち大好評を得て繁盛しました。チャイチャイ「チュウモンオイツカナイヨー」あまりにも人気が出すぎてしまいその激務に疲弊するチャイチャイ。仕事は大変だが、しかしもっと多くの日本人に本場インドカレーの味を知って貰いたい。志を持った彼は店をチェーン展開することにしました。

f:id:gibraltar_may_tumble:20171220214159j:plain当時はまかないを食べる時間すらまともに取れなかったという(中央がチャイチャイ)

 

■ロード~第二章

チャイチャイの商才について特筆すべき事は、次々と展開する店舗をそれぞれ「独立したカレー店」として日本人に見せたという点に尽きます。内情としては実質的に彼が全てを仕切るチェーン店であるにも関わらず、各店舗ごとに屋号は勿論のこと内外装、メニューやサービス、そして価格設定に至るまで全てを個別に設定したのです。これにより各地域に住まう日本人に対し「インドからやってきた本物のインド人が自力で独立して本場のカレーを提供する店」というプレミアム感を演出する事に成功したのです。チャイチャイ「ショウバイカンタンネ、ワライガトマラナイヨー」

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羽振りの良いチャイチャイ(当時35歳)

 

■ ア・ブラ・カダ・ブラ

スリラン・カ・ネイパール商会の大々的な店舗展開に伴い、日本市場に残されていたタイ米のストックは間もなくゼロとなりました。当時の余剰であった日本国政府備蓄のタイ米のうち実に9割以上をチャイチャイグループが買い取ったと現在では推測されています。さて備蓄タイ米を消費し尽くしたチャイチャイは次の手に打って出ました。チャイチャイ「オコメガナイナラパンヲタベレバイイジャナイ」こうしてチャイチャイ考案により新しく作り出された主食フードこそが、当時から現在に至るまでスリラン・カ・ネイパール商会の屋台骨を支え続けている大ヒット食材「ナン」なのです。庶民「なにこれパンだけどパンじゃないじゃん?美味いじゃん?」新食材ナンはたちまち日本中を席巻しました。現在日本国に流通するナンのうち実に95%には何かしらの形でスリラン・カ・ネイパール商会の息がかかっているとも言われています。

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「ナン」の考案に一役買ったとされる「重要人物」を捉えた貴重な一枚
(この人物の経歴やチャイチャイとの関係性は不明)

 

■EZ DO DANCE

フードビジネスを軌道に乗せ帰国したチャイチャイは母国インドに79階建てのタワーマンションを建設、その最上階に住み4台のパソコンを駆使しながら日本への指示を出していました。優に30人を越える彼の使用人のうち、料理人として料理場を仕切るタツ・カワゴエは元ミシュラン認定三つ星レストランのオーナーシェフでした。チャイチャイ「キョウハナンカサ、ショミンテキナゴハンダシテヨ。フレンチハモウタベアキタヨ」カワゴエ「かしこまりました」そうしてその日カワゴエが選んだメニューは『タイライスのスパイシーイエロージェルがけ~クミンを添えて』と題される料理でした。

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タツ・カワゴエ(44歳) - 料理の腕前および自らが「素材」となるフリーさは彼だけの持ち味

 

■恋しさと せつなさと 心強さと

チャイチャイ「コ・・コノライスハ・・・・」カワゴエ「タイ米と呼ばれるライスです。タイランド国王のご厚意によりチャイチャイ様のため特別にご提供頂いた逸品です」チャイチャイ「・・・・・」カワゴエ「チャイチャイ様?どうされたのですか?」チャイチャイの頬を伝う一筋の涙。あの苦しくも充実していた日本での日々が思い起こされます。チャイチャイ「イ、イマノワタシハ・・・・」

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チャイチャイタワー(1999年撮影/現存せず)

 

■祭りのあと

一時はムンバイのシンボルとも言われた79階建てのそれは解体され、かつての居住者も既にその地を去っています。いつしか呼ばれた「カレー王・チャイチャイ」。彼のその後の足跡を知る者は誰一人として存在しません。タワー崩壊のきっかけを作ったとされるカワゴエも日本に帰国し麻布らへんに自らのフレンチレストランを開業したとの噂です。
日本国において近年急速に発展を遂げたインドカレー店。その数は現在でも増殖を続けており、供給過剰と言われて久しい歯科医院数を越えるのも最早時間の問題とまで言われています。昨今では日本国民は一日に一度はインドカレーを食しているとの統計もあり、また実際にこれを読むみなさまも頻繁にインドカレー店に赴いておられることでしょう。もはや日常食としての確固たる地位を確立したカレーですが、しかし、あなたがナンまたはライスを自由におかわりする際に、ぜひ思い出して頂きたいのです。その陰にこのような一人の男と不遇なライスの物語があった事を。

先述の通りその後の彼の行く先を知る者は誰もいません。しかし彼はこの日本国、あるいは全くの新しい土地で、今もなお客にカレーを提供している事でしょう。なぜなら、お客様の笑顔が彼にとっての一番の喜びだから。私はそう確信しています。

f:id:gibraltar_may_tumble:20171220215807j:plain1993年当時、政府によりブレンドされる直前の日本米(左)とタイ米(右)の比較