一年という区切りで見た場合、私は調子のいい時期と悪い時期を何度か繰り返すのですが、今は割と調子のいい時期なのだと感じています。
調子がいいと、文字通り調子に乗ってしまい、まだ行ける、もっとやれると無意識のうちに自分にプレッシャーをかけ、気付かない間にそれが重荷となり、そしてまた調子を崩すのです。
私はそんなことをもう何回も繰り返していますので、そろそろその塩梅も分かりつつあるのですが、しかし意識して気を抜く、と言いますか、あえて休憩する、というのは存外に難しいものなのです。
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先日ふと付けたカーラジオで、いずれやってくるであろう「人生130年時代」などという言葉を聞いたのですが、それに従うならば私の人生はまだ三分の一も終わってないということになります。尤も、酒煙草を生き甲斐としている私にとってその数字に縁は望めないのでしょうが。
しかしながら、もし本当に130年生きられたらどうなるのだろうか、などとつい夢想をしてしまいます。孫が産まれ、そしてその孫の顔ぐらいまで拝めるのだろうか。その頃にはこの世界はどのような変化を遂げているのだろうか、と。
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幼い頃はひょうきんで、次第に内に籠るようになり、また外へ出てひょうきんを発揮します。
声をかけても返事をせず、タブレットから目を離さないその少年を見ると、いやでも自分の幼少期を彷彿とさせられるのです。
幼い頃はひょうきんで、次第に内に籠るようになり、また外へ出て発揮するそのひょうきんはしかし、幼き日のものとは本質が違うのです。私はそれを、悲しくもあり逞しくもある人間の性質なのだと、そう理解しています。
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自身の生活圏内にある金木犀の花が一斉に咲き、街中に一斉に匂いを放つその現象を、不思議がって話すその人を見ると、私の人生もまた捨てたものではないのだし、まだ先もあるのだと信じられます。
大切なものをただ大切にするというのが、決して簡単でないことは存分に承知しているつもりです。
考えるにいかにも容易に思えるものほど、その実非常に難しいというのは、これは誰にでも訪れる人生の皮肉なのではないでしょうか。
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取捨、勇気、真摯、快楽、酩酊、実直、喜怒、軽薄、邂逅、交歓、焦燥、寂寥、後悔、虚無
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人生にはいろいろな事柄が発生して、その度に私の心は抉られ、いろいろなことを否が応にも考えさせられます。対極の感情ですら、双方混ざり合って同居いたします。
そうして私は私というものが分からなくなるのです。それこそが何度も何度も繰り返してきた私の人生そのものなのです。
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振り返り、思えば、この人生にはいろいろあって、それでもここまでやってきました。
先のことなど想像にすら及びません。
ただ私は、自らの人生において避けるべき山も、蹴落とされた谷も、そういった何もかもを存分に経て、いざ振り返ればそれなりに満足であったと、そう思いながら消えたい、そう望むばかりです。
もし私が130歳の誕生日を迎えることができるのならば、最期にはこう言うのでしょう。そうして静かに、風になる。
「人生、存外に捨てたもんじゃあないよ」と。